今でも会えばなぜか喧嘩ぽくなったり、
通話してる前半は良好なのに、後半険悪になったりする。
けど、少し前までほど、悪いことばかりじゃなくなった。
恋愛系のカウンセラーの本や動画を見ていると必ず、
『親との関係を見直しなさい。』『感謝しなさい。』
が出てくる。出てきますよね?( ̄▽ ̄;)
とりあえず、何回も彼女との関係、父との関係を、
思い出している。
父との関係はこじれがないから、
いい場面も悪い場面もシンプルにすっと出てくる。
そして、感謝の手紙というものも数年前に出した。
すぐさま、メールでありがとう、と返事がきた。
問題は母だ。
近しい人には、悪い面がシコタマ出てくる人なので、
ありがとうの場面を、たくさん思い出しても、
悪い場面が強烈過ぎて、かき消されるw
でも、ほんと少し前、
ここに引っ越してくるより数ヶ月前から、
母は安定していて、穏やかな言葉を使うようになった。
私の方も、安心して連絡できるようになった。
母との思い出は、1番はやっぱり、どうしても病院
(幼稚園入学まで、心臓病棟で暮らしてました。)
小さ過ぎる頃だから、入院の記憶はほとんどない。
小さなテレビを前に、病院のベッドの上で、
西城秀樹の歌うYMCAを真似ていた記憶だったり、
あとは、走り回るから医者・看護婦さんに怒られたりw
昔の看護婦さんは怖かった

鮮明に思い出せるのは、
もう少し成長して、家から通院し出してからのこと。
(小学生以降?)
私はいつも、病院に行きたくないとゴネていた。
注射が痛いからとか、待ち時間が長いからとか、
そういうことではなく、
もっと、根本的に『私は、病人じゃねえぇえ!』
といつも反抗していた。
ただ、何を言おうが、連れて行かれるわけで、、。
採血が終わったタイミングで、
『よー我慢した。』と、ジョアを買ってもらえる。
今でも、その光景が忘れられない。
ジョアってプレーン含め、何種類か味がある。
選んでいる時が嬉しくて。
病院って待ち時間は長いし、システムは煩雑だし、
超イラチな母が、よくイライラしていたのは覚えてる。
でも、そうやってジョアを選んでる時に急かされたこと、
ないんだよね。『あぁ、終わったねぇ。』て、
すごい、ゆったり穏やかな時間が流れていた気がする。
ついでに、ご褒美が豪華なときは、
帰り道でケーキ屋に寄って、ケーキを買ってもらえる。
何を選んでいたかなんて、覚えてない。
帰った後に食べたのかも覚えてない。でも幸せだった。
なんかよく分からないけど、私、愛されてるんだなぁて。
病気のことや病院のことは、
人生の最初の頃は自分の中で『最悪な出来事』だったけど、
その後の人生で、あぁ、ギフトだったんだなと思える。
これは推測なんだけど、
普通の生活の中での子育ては、専業主婦だった彼女には、
『ちょっと意地悪な部分』も保ちながらこなしていける、
キャパの範囲内のことだったんだと思う。
でも、病気の子が産まれて、
それに関するアレコレで心配したり、付き添ったり、
振り回されたり、
それは、もう彼女のイラチな部分やちょっと意地悪な部分を、
維持できないぐらいの大変さだったんだと思う。
だから、フゥッと力が抜けて、
治療が終わった後とか、通院帰りとか、
穏やかな気持ちで、子供に接することができたんじゃないかって。
何か言われた覚えはないんだけど、その辺りの光景を思いだすと、
平和な気持ちになる。
私の頭の中の両親は、こちらを向いて微笑んでいる。
今なら、そちらが真実だって、そういう風に考えられる。
お母さん、ありがとう。