12月中は、特別ミサを色んな日程でやっている。
とは言っても、
人生の中に『礼拝』なんてなかった人にとっては、
異様な光景かもしれない( ̄▽ ̄;)
大丈夫、聖書や賛美歌はいらないし、慣れるからw
ちなみに、Keipakasanは、
中高6年間、毎日聖書を読んで礼拝する学校に通ったから、
違和感は全くないです。
ところで、
日本人は、宗教っていうと「勧誘がセット」だったり、
「心が病みきった人が最終的にすがる場所」
というイメージを、漠然と持っていると思う。
ただ、考えてみて欲しい。
世界の人口の3分の1や、5分の1の人が信じている大きな宗教が、
そんなに怪しかったら、この世の中はだいぶ住みにくいだろう💧

ムスリム彼氏(イスラム教徒)がいる時には、
彼と一緒に東京の大きなムスクにも行ってみたし、
日本語に訳された書物も読んでみた。本、好きだし。
色々と違いはあれど、
どちらの宗教も人々の心の平安を願うものであって、
怪しいや危ないや、偏ったことは一切誰も言わない。
もとい、教会
私は多感な思春期の頃に、
初めて礼拝の中で牧師さんの講話を聞いて、
『今までで1番、知りたかったような話をしてくれる大人』
に出会ったと感じた。
心臓病を持って生まれて、
人生のスタートが心臓病病棟での入院からだったし、
1番最初の記憶が、やっぱり何か、特殊な話を聞いたり、
特殊な体験だったりで、頭の中で整理できないことが多かった。
特に、『どうして、私は運動をしたらアカンのか。』
そのことによって、学生時代のヒエラルキーだって変わるし、
何より、自分の能力を存分に発揮できないことが悔しかった。
親や周りの大人(学校の先生)の責任に関わるところまでは、
ルールに従うことにしたけれど、いつも釈然としなかった。
もちろん、礼拝で話を聞いたって、そんなことは解決しないけど、
周りの子達の「昨日、なんのテレビを見たか」「好きな男の子」
そんな話よりは、ずっと、牧師さんの話は、
「大人とか、世界の人たちは、悩みの中生きてるんやなぁ。」
「スパッと割り切れることだけが、人生じゃないんやな。」
と腑に落ちるような感じがあったんだ。
だた、私は典型的な日本育ちの日本人で、
この国のクリスマスの過ごし方も好きだし、堪能してきた。
若い頃の彼氏には、イブにペアリングを買ってもらったし、
元旦那さんとは、毎年お気に入りのケーキを食べていたし。
イルミネーションの綺麗さを否定することはできないさ。笑
まぁ、でも、恋愛はそのうち、なんとかなるっしょ( ´ ▽ ` )
だから、今年もクリスマスは教会で過ごすと思う✨
